エッセイ

初めてラブホテルに泊まった日のこと

初めてラブホテルに泊まった日、私はまだ年端もいかない少女だった。

うちは母と私だけの母子家庭で、母はよく学生時代からの友だちであるタエコさんの家に私を連れて遊びにいった。タエコさんも母と同じく1人娘を育てるシングルマザーだ。タエコさんはタブーのないサバサバした性格で、私たちをいつでも家に歓迎してくれて、かっこよくタバコを吸う。私はタエコさんのことも、タエコさんと一緒にいるときの母のことも、タエコさんの娘で私より4つ年下のナナミちゃんのことも大好きだった。

あるとき、母とタエコさんとナナミちゃんと私の4人は車で四国旅行に行った。おそらく私は10歳ほど、母とタエコさんは30代だったはずだ。母とタエコさんは交代しながら運転した。地元の鳥取から四国に行く道中の、瀬戸大橋から見た景色の美しさをよく覚えている。キラキラと光る海の上を車が飛んでいるようだった。

四国で坂本龍馬記念館やアンパンマンミュージアムや寺に行った朧げな記憶はあるが、そもそもなにをしにわざわざ四国まで行ったのかはすっかり忘れた。瀬戸大橋からの景色の他に記憶にあるのは、乗った車が山を登っている光景と、だんだん霧が深くなってきて母とタエコさんが「泊まれるところを探そう」と言いだした雰囲気だ。もともと1泊2日で帰る予定だったが、予定を変更してもう1泊することになった。

土地勘のない場所をぐるぐると走った末「ここで良くない?」と母が車を停めたのは、山の中にあるお城のようなホテルの駐車場だった。明らかにラブホテルである。

当時の私はもうなんとなく、そこがどういう所かわかっていた。学校で工場見学に行くバスが国道沿いのお城みたいなホテルの横を通ったときに、クラスのおませな男子が「ラブホテルだ」と騒いでいたから。

ラブホテルに泊まろうとする母とタエコさんに「正気ですか?」と思った。しかし、色々とわかっていると思われたくないので黙っているしかない。母とタエコさんは「ピザでも頼もう!」と盛り上がっている。娘を小学生でラブホデビューさせることに対する葛藤はないようだ。ナナミちゃんも母親たちの楽しそうな雰囲気につられて陽気である。私だけがかなり戸惑いながらラブホに足を踏み入れた。

ラブホに小学生が泊まるのはアリなのか謎だが、フロントを通らずに入れるガレージ式のホテルだったので子どもを連れ込むことは問題なかった。私たちが泊まったのはゴージャスな2階建ての部屋だった。2階のベッドルームから伸びた滑り台が1階のお風呂と繋がっていた。ベッドルームの天井は鏡張り。ベッドサイドには妖しいオモチャのガチャポン。内装もいかにもって感じだった。

まだ5歳ほどのナナミちゃんは、内装の派手なホテルに無邪気にテンションをぶち上げていた。そして恐れていた事態が起きた。ナナミちゃんが室内に置かれたガチャポンに興味を示したのだ。

「お願いです、今すぐナナミちゃんがガチャポンへの興味を失くしますように」

私の心の底からの祈りは、神にも仏にもナナミちゃんにも届くことはなかった。

「ママ、コレなに?なんて書いてあるの?」

ナナミちゃんは悪くない。断じて悪くないんだけど、それは禁断の質問だよ?勘弁してくれ。気まずいのはこっちなんだから。

一瞬の沈黙。タエコさんは意を決して読み上げた。「お・と・な・の・お・も・ちゃ」と。

「なに?おもちゃなの?なんのおもちゃ?」

お願いだ。引き下がってくれ。

「お・と・な・の・お・も・ちゃ」

タエコさんが繰り返しガチャポンのパッケージの文字を読み上げるのを、私は出来るだけ心を無にして聞いた。タエコさんもきっと心を無にして読み上げていたに違いない。

お風呂に入ったあと、タエコさんはホテルに備え付けられた寝間着を着た。その寝間着はペラペラで、前で留めるタイプのボタンも心許なかった。

「コレはあんまりじゃない?」

タエコさんは豪快に笑った。

「どうせすぐ脱がすと思って!」

私の母も笑った。

必死にここがどんな場所かわからないフリをしているのに、大人ときたら私の苦労も知らないでよくもそんな冗談を……

一緒になって笑うわけにいかず、私は場の空気が悪くならない程度に無表情でいるよう努めた。なにもわかっていないナナミちゃんが羨ましい。なぜ私だけがこんな微妙な心境でいないといけないのだろう。

その夜は4人一緒に大きなベッドで眠った。このベッドで普段なにが行われているか、具体的なイメージはまだなかったことが救いだった。部屋に備え付けられたカラオケの電源の光が鏡張りの天井に反射して、眠るには眩しかった。

このラブホデビューは黒歴史だと思ってあまり人に話してこなかったが、数年前に友人にこの話をしたら「女だけの自由な環境で育った感じがいいね」と言われた。そうか。そうだった。私が育った環境は、圧倒的に自由だった。母とタエコさんが互いに支え合い気の置けない冗談を言い合う姿を間近で見ていたあの時間、母たちの青春の延長に連れ込まれドキドキしたあの時間が、なんだか愛おしくてかけがえのないものに思えてきた。たった一言の友人の言葉で。どういうニュアンスを込めた言葉か分からないが、友人に感謝である。